YS−11
 第二次世界大戦後、日本は航空機の開発・製造・研究を禁止されていました。1952年(昭和27年)の解禁にともない、国産の旅客機を製造しようという気運が高まり、1957年(昭和32年)五戸町出身の木村秀政博士(当時、日本大学教授)を技術委員長とした(財)輸送機設計研究協会が設立されました。1958年(昭和33年)から本格的に設計を始め、1962年(昭和37年)試作1号機が初飛行し、1965年(昭和40年)初の国産実用機として国内線に就航しました。その後、1973年(昭和48年)まで、182機が生産されて、アメリカをはじめ世界の航空会社に採用され好評を博しました。YS-11の名は、輸送機設計研究協会の輸送の「Y」、設計の「S」、エンジンと翼の設計で、それぞれ1番目の案を採用したことから「11」(いちいち)と命名されました。

 展示されている機体は(YS-11A-500型機・JA8776)は、1971年(昭和46年)5月に、日本航空機製造株式会社(NAMC)で製造され、東亜国内航空で愛称「しれとこ」として就航し、2002年(平成14年)11月18日まで、日本エアコミューターで、鹿児島〜屋久島・種子島・奄美大島・沖永良部島・与論・福岡/福岡〜高松・徳島・高知・出雲/出雲〜隠岐/伊丹〜隠岐の12路線を運行していました。

総飛行時間:59,451時間22分/フライトサイクル:60,942回

全幅32m・全長26.30m・全高8.98m・主翼面積94.8平方メートル
機体重量15,460kg・離陸最大重量24,500kg
胴体:全金属製応力外皮構造
主翼:片持式低翼単葉機
エンジン:ロールスロイス・ダートMk542(2,400軸馬力)×2
最大巡航速度474km/時
実用上昇限度6,100m
航続距離1,280km
乗員2名/乗客64名
初飛行:1962年(昭和37年)8月30日

The YS-11 was designed by a team led by Kimura Hidemasa of Gonohe, Aomori. It was the first transport plane to be produced in Japan after World War II. By 1973 a total of 182 YS-11 planes had been manufactured, and some of them were even exported to other countries. The model on display here was in use up until November 2002.
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